脳内整理。

ひとりごと多めです。

伸ばした手のひら

 

半年前、私の大好きな人が、大好きな仕事を辞めてしまった。

 

大学生になりたての頃、渋谷のスクランブル交差点で美容師さんに声をかけられた。

カットモデルを探していたその人に、「タダで切ってもらえるならいいか〜」と安易に返事をして髪を切ってもらったのが彼女だった。

 

彼女は当時デビュー前で、カットモデルに行ったその日に、わたしの髪をボブにした仕上がりを先輩にチェックしてもらっていた。

美容師さんって大変なんだなあってぼんやり思いながら、彼女の真剣さや人柄の良さになんとなく惹かれていたのを覚えていて。

 

「また切らせてください!」と笑顔で見送られて、つるんっと綺麗になった髪を触りながら、またあの人にお願いしようって、そう思ったのが4年半前。

 

 

 

気づいたら、毎回彼女にカットを頼んでいた。

作品モデルに声をかけてもらったり、スタイリストデビューの知らせを聞いて真っ先に駆けつけたり、トップスタイリストに昇格しました!と名刺をもらったり。

 

4年半、ずっと私の髪を切ってもらっていて、仕事のことや恋のこと、私の就職のことまで、本当に毎回たくさんの話を聞いてもらっていた。

もちろん、彼女が切ってくれたヘアスタイルはいつも大満足だった。

 

 

 

そんな彼女が、美容師をやめることになってしまった。

身体が思うように動かない病気で、美容師の仕事を続けるのが難しいそうで。

本当に本当にびっくりしたし、同時にとても寂しくて。

 

美容師として信頼していたのは大前提だけど、それ以上に、私は彼女の仕事に対する向き合い方とか、お客様をどれだけ大事にしてくださってるのかとか、人として好きな面がたくさんあったから。

 

こんな風に仕事を楽しめたら素敵だなって、ぼんやりとした感情も抱いていた。

 

大変そうだったけどいつも笑顔で楽しそうに仕事をしていた彼女を見ていたし、彼女にはきっとこの仕事は天職なんだろうなあ、なんて勝手に思っていました。

 

 

 

それだけの仕事が、不本意にもできなくなってしまう。

もし、自分がその状況だったら?

 

好きで、憧れて目指した道で、そのために努力をして、苦労を重ねて、やっと掴んだと思った夢の端っこがスルリと離れて行ってしまったら。

 

そう考えたら、すごく悔しくなって、悲しくなって、やるせなくてわたしが泣きたくなってしまった。

 

不意に手のひらが空を掴んだような、そんな感覚に陥った。

 

 

 

社会人になって一年、働き方とか目標とか、「働く」ということを考えるタイミングが増えた。

ミレニアム世代とか言われるわたしたちは「働く」ことが多様化していて、何の為に働くのか、何故働くのか、その答えも多様化していて。

 

その中で、「好きなことを仕事にしたい」と思う人はとても多い。

わたしも例外じゃない。

 

でも、でもね。

「好きなことを仕事にしたい」

そう思えることや、それを目標にできるってとても恵まれているんだなと、改めて思ったんです。

 

 

 

リハビリの為休職します、と連絡をもらってから半年、わたしは彼女が復帰したときに切ってもらおうと髪を伸ばしていました。

長い髪を見せて、「待っていたらこんなに伸びちゃいました」って、またステキなボブにしてもらおうって、決めてた。 

 

結局、それは叶わなかったけれど。

 

美容師とお客さん。

たったそれだけの関係だったかもしれないれど、わたしには間違いなく「一期一会」の出会いだったなと、振り返ってみて改めて思います。

 

彼女に髪を切ってもらうことは叶わなくても、どこかでまた、もしかしたら違う形で会えたらいいな、また話せたらいいなって。

 

 

 

同時に、その時までに、わたしは彼女に自分の仕事や、掲げている目標や、それに対する今のわたしを胸を張って報告できるようになりたい。

わたしはいまこれだけ毎日が充実してるんだって。

 

そう思います。

 

 

 

 

好きを仕事にするのは、現代では難しいことじゃない。

むしろ、働くことへの多様化が進んでいるからこそ、好きを仕事にしたいと思う若者はきっと増えている。

けど、選ぶ権利があるからこそ、選んだ道への覚悟とか、憧れや強さとか、挫折した時の悔しさとかを覚えておかなきゃいけないんだなって思いました。

 

 

 

わたしはきっと、これからも好きを仕事にしていく。

 

なんのために。誰のために。どうして。

そんな風に迷いながらだし、挫折しながらだけど。

嫌いな事から逃げるんじゃなくて、好きにこだわるんじゃなくて、「好き」に敬意を払って、わたしがわたしでいられる働き方をする。

 

いつか、子供ができたときに、仕事してるママはカッコいいねと言ってもらえるように。

これはちょっと夢見がちかな。笑

 

ある「好き」と正面から向き合ったとき、わたしはそれと「社会人として」接していたいと思ったから。

その答えが間違いじゃなかったと言える日がくるように。

 

明日もきっと、なにかを掴みたくて手のひらを伸ばす。