花束が似合うひと
花束が似合うひとは素敵だ。
最近、良くそんなことを思います。
男性、女性に限らず、花束を贈られるようなひとは魅力的だなと思うし、花束が似合うひとになりたいなあなんてふんわり思っていたり。
「花束ってもらうとやっぱり嬉しいの?」
以前、上司に言われたひとこと。
まあそう思うよね、なんて納得しつつ、だからこそ花束を贈る、贈られる関係性って素敵だなと改めてときめいたというか、その時の感情がとても印象に残っているのを覚えています。
私たちは普段、花を贈る機会は多くはないけれど、少なくもないなと思っていて。
節目を祝うタイミングはそれなりにあって、そこで花を選ぶかどうかなだけなんじゃないかなと。
花は、利便性のあるものでもないし、一生飾れるものでもないし、味わえるものでもない。
身につけてもらえるものや、実用性のあるもの、その人が欲しがっていたものを贈るほうが、もしかしたら喜ばれるかもしれない。
だけどそこで花という選択肢を選ぶ、って、なんだかロマンチックじゃないですか。
その人のその一瞬を、おめでとうという気持ちや、感謝や、愛を、その瞬間を彩る花を選べる人って素敵だなと思う。
同時に、ありったけの想いが詰まった花束をもらうってどれだけ幸せなんだろうと。
使ってもらえる、身につけてもらえる、理解者になれる。
そういった贈る側のエゴが一つもなくて、純粋な気持ちが溢れた花束って、とても綺麗だなと思います。
通例だから贈られた花束、ではなくて、送る側の祝福や喜びが等身大に詰まった花束は、きっとどんなに高価なものよりも、欲しかったものよりも、嬉しいんじゃないかな。
花束を贈るのはキザだとかロマンチストだとか、そういう風に思う人もいるでしょう。
もしかしたら、花束を贈るのはなんだか恥ずかしいなんて思う人も多いかもしれない。(実際わたしは高校生くらいまで花を贈るのはキザだと思っていたし、恥ずかしかった)
だけど、ロマンチストでいいじゃない。
「君にこの花が似合うと思って。」なんて、普段ならあまり言えないような言葉を言ってみたら良い。
だって、そんなこと言えるタイミングはそんなに多くないし、そんなことが言えちゃうくらい、相手のことを祝福したい気持ちがあるんだから。
私は君のことをこれだけ祝福しているんだ。
そう言われて、嫌な人は居ないと思うから。
花が似合う人は素敵だ。
たくさんの祝福と愛を両手一杯にもらって、もらった花束に負けないくらいの眩しい笑顔を見せる人は、きっとみんなに愛されるんだろうな。
雨の日、傘を差しながら片腕で抱えきれないくらいの大きな白バラの花束を持っている素敵な初老の男性を見て、花束を贈ろうと思ってもらえるような人間になりたいなとか、喜んでもらえるような花束を贈れる人間になりたいなって思ったって話。